5月の連休に、家族共々自動車にて郷里・石巻方面に行ってきた。3日の未明に出発して5日の夜には帰ってくるという結構な「強行軍」だったが、大変意味深い旅行となった。
今回の目的の1つは、石巻に隣接する女川訪問にあった。3月27日にも1人で女川を訪問したのだが、その時に、ある「慰霊碑」に長女たちが作った「千羽鶴」を供えたのだったが、その「慰霊碑」を家族にも見てもらいたいと言う思いだった。
この「慰霊碑」は、第二次世界大戦におけるカナダ空軍最後の戦死者グレー大尉を鎮魂するものだ。1945年8月9日、女川を空襲した際に撃墜され湾内に沈んだという。このグレー大尉との「因縁」は、ずいぶん古い話になるが、1995年12月から翌年3月までブリティッシュ・コロンビア大学に客員教授としてお世話になった時に遡る。無名の日本人研究者を温かく迎え入れてくれた研究所長のW.グリーン博士を訪ねた初日だった。たまたま博士を訪ねていたカナダ人研究者を紹介された。その時に、彼女たちが家族・親族揃って女川に行ったことがあるということを知った。彼女にとっては叔父のグレー大尉の「慰霊碑」建立式典がかなり盛大に行われたようである。
そのカナダ人研究者との交流はその後も続いて現在に至っているが、グレー大尉を巡る詳しい事情をより正確に理解することになったのは、2007年度の海外研修の際に、彼の研究者がバンクーバーに来た時に滞在するという、彼女のご母堂(グレー大尉の姉)のアパートメントを訪ねた時だった。当時すでに91歳だったが矍鑠としていた。現在もご存命のようではある。
ところで、彼の「慰霊碑」。女川湾の岬上の「崎山公園」にあったものだが、今回の大震災・津波で崖崩れが発生し危険だということで、移設されたのだった。高台にある町立病院の駐車場や施設内に「仮設店舗」が営業を始めていたが、その一角、女川湾が一望出来る小公園内にしっかりと佇んでいる。「移設式典」も行なわれたと言う。町の広報誌にも記載されて小学生の教材にもなっているようだ。3月27日に「慰霊碑」に供えた「千羽鶴」は、間近の「仮設喫茶店」の「若女将」に託して来たのだったが、その喫茶店の壁にきちんと飾ってあった。家族共々満足な思いで帰って来る事ができた。立命館大学の「創立記念日」に、我が家にとっては「因縁の記念碑」である「慰霊碑」のことに触れさせていただいた。 mm生



